さよならクロベエ

sarumania2004-08-17

今日チェッカーズのドラマー、クロベエこと徳永善也氏が舌ガンによりお亡くなりになりました。40歳でした。
もう今やご存知ない方もずいぶんおられると思いますが、僕漣とベースのキナミは高校生の頃にチェッカーズコピーバンドを組んでました。
いつかチェッカーズみたいになれる日を夢見て、同じ高校の仲間等7人で始めたのがピスキッズでした。チェッカーズがなければピスキッズは結成されることはなかったし、ピストルモンキー(ズ)のカケラもなかったでしょう。
チェッカーズを目標としたピスキッズは、チェッカーズのコピーだけが取り柄のバンドだったので、メジャーデビューを果たした後随分苦労をしました。良くも悪くもチェッカーズみたいなピスキッズは結局ブレイク出来ませんでしたが、チェッカーズのコピーをやらせたら今でも日本一だと自負してます。
中学生のとき初めてテレビでチェッカーズをみた僕は衝撃を受けました。それまで漫才師になりたいと思いつつも、トシちゃんやマッチを見て密かに歌手もいいなぁなどと思ったりもしてたのですが、チェッカーズを見た日から僕の夢はミュージシャンと確定されたのでした。次の日(確か日曜だった)に朝から近くのコンビニにチェッカーズの記事のある本を漁り、その中で一番情報量のある一冊を選び買って帰りました。あの時のワクワクは今でもハッキリと覚えています。新曲が出るまでのあの無性に待ち遠しい感じ、レコード(当時はCDはなっかった)に針を落とすあの瞬間のときめき。思えば思春期の瑞々しい感情のほとんどをチェッカーズに教えてもらったような気がします。
チェッカーズのマスコット的、ムードメーカー的な存在で、いつもメンバーの一番後ろからニコニコと直線的な力強いビートを刻むクロベエ
あの笑顔は映像の中でしか見ることは出来ないけど、メンバーやファンの記憶の中にはずっと残っていくんだろうな。
チェッカーズが解散してからは、個々の活動にもあまり関心はなっかたけど、一度くらいその後のクロベエも見ておけば良かったなと後悔したりしてます。
今僕がここにいる大きなきっかけのひとつを作ってくれた偉大なるチェッカーズのドラマークロベエの安らかな眠りをお祈り致します。クロベエホントにありがと!

*写真はチェッカーズが生んだスーパーバンドピスキッズ。向かって真正面にまだツルツルだった頃の漣が。その真上に今の半分の体重のキナミ氏が。