間違いは誰にでも

sarumania2005-05-29

リハが終わり我々は、体育館の隣の棟の建物に案内された。畳敷きの12畳くらいの部屋が控室となった。
案内してくれた実行委員の女の子から諸々説明を受けたあと我々は本番までの2、3時間をそこで過ごすこととなる。
パピーがナンパ目的で構内の模擬店を回ってくると言うので、じゃあテキトーになんか見繕って買ってきてと私はポケットマネーから20万円手渡した。

外は雨。睡眠不足。残るアルコール。畳。
我々はぐったりとねそっべって思い思いに仮眠をとることに。

そうこうしていると「え”〜え”〜え”〜・・・え”〜え”〜え”〜・・・」バッハのケータイ電話が鳴った。
「ハイ、こちら銭金でお馴染み杉本バッハでございますぅ〜・・・」
「え”〜はい・・・はい・・・え”え”・・はい・・・え”〜はい・・・はい・・・え”え”・・はい・・・え”〜はい・・・はい・・・え”え”・・はい・・・え”ぇえ”ぇえ”ぇ・・・」
普通に聞けばいつもと変わらぬバッハの応対だが、バッハ研究のスペシャリストである我々はただならぬバッハの様子に気づいていた。
余談ではあるが近々バッハが何を言いたいかがわかる、「バッハリンガル」を製品化しようと目下開発中である。

「はい、でワ、聞いてみます”え”え”」
「どうしたん?」
「え”え”、みなさんは僕が銭金に出たことはご存知ですよね?デュークさんホテルの鍵持ってきてないですか?」
「え?」
「僕が銭金に出たことはみなさんご存知だと思うんですがぁ、なんかデュークさんの部屋の鍵がフロントにないって言ってるんですよ・・・」

そういえばデュークの部屋の鍵はフロントのマスターキーで開けていた。
「デューク鍵フロントに渡して出てきた?」
「いや、全然憶えてないですね・・・」
「持ってきてる?」
「いや、そんなはずはないと思うんですけど・・・」
いつもクールなデュークもさすがにこのときばかりは表情が・・・あ、あせってないィィィィ〜!!!
やはりスナイパーたるもの、いつなんどきでも冷静さを欠いてはいけないのである。
別段あせった様子もなく厳かにカバンの中を調べるデューク。
「んー・・・ないですねぇ・・・」
私とバッハは機材車の中に落ちているかもしれないと捜索に出た。
でもなかった。

楽屋に戻るとデュークはすべてカタがついたかのような穏やかな表情でこう言った。
「やっぱりないですねぇ・・・」

デュークよ、君はなぜそんなにも冷静でいられるのか?


その後ホテルから連絡があり、鍵は壁とベッドの隙間に落ちていたらしく事なきを得たのだ。

これが後に語り継がれることになる「デュークのルームナンバー503の怪」の全貌である。



その後パピーがテキトーに見繕ってきた、焼き鳥、カレー、お好み焼き、焼きそば、餃子などをみんなでマズイマズイといいながら食べたあと、いよいよ本番となった。

会場はメインエベント「餅撒き」の餅欲しさに集まった餅フェチのみなさんで賑わっていった。
餅やお菓子が撒かれると錦鯉のように群がる人たちを見て、なんだか切なくなりながら私はステージに上がった。


1曲目お馴染「恋はムズムズ」

「ハローエヴリピーポーの皆さん!ウェルカムようこそ!!」
漣お得意のご挨拶が高らかに体育館にこだまする・・・・・

愛媛大学医学祭にお集まりの皆さ〜ん!こんにちは〜オレンジレンジです!」
つかみはOKだった・・・・

なんだかんだあり



最後ステージ前に群がる学生の汗だくのTシャツを脱がせ、それをスーツの上から着た私は、
「紅白出るぞー!」
「オーーーーーーー!!!」
学生たちは汗まみれの顔に満面の笑みを湛え、力いっぱいシュプレヒコールをしてくれた。


ああ、この瞬間のために俺たちは遠い遠い愛媛まで来たんだ・・・・


 



この医学祭本当に大変な盛り上がりであった。

でもそれは学生たちの半ばヤケクソともとれる盛り上がりで、いつものライブのそれとは明らかに異なるものだった。

でもそれは間違いなくピストルさん史上味わったことのない素晴らしいテンションの盛り上がりであったのだ。

オレンジレンジと間違えていたのかもしれない。 Fin






*写真は平原綾香似の代表的なホロ酔いデュークの一例。