帰ってまいりました、さざなみコラム!

sarumania2005-05-23

また気づけば2ヶ月くらい過ぎようとしておりました。全国28000人の漣コラムファンの皆様、申し訳ございませんでした。
そしてお待たせいたしました。今回「行きがけの駄賃ツアー2005」の全貌をここ漣コラムにて前編後編の2本立てでお送りしたいと思います。

「行きがけの駄賃ツアー」はまず愛媛大学の医学祭実行委員会の1人の青年の1通のメールから始まった。
その内容は、偶然NHKオンエアバトルのチャンピオン大会(4位)で完璧なショウを繰り広げる(4位)ピストルさんを観て是非ウチの大学に招いて医学祭を盛り上げて貰いたい!と思い、いきなり不躾なメールで申し訳ないがなんとかならないだろうか?というものであった。
ピストルモンキー(ズ)の全てのスケジュールを管理する関東百日紅会の定例会でこの議題は持ち出され、彼の熱い思いに答えようじゃないかと言うことで満場一致で愛媛行きは可決された。彼の名前が健太郎だったということも大きな要因だったかもしれない。

愛媛行きが決まった所で、どうせ西に行くなら出戻り故郷の大阪でのライブも絡めようではないか、ということでミューズでのライブも入れてもらうことになった。これについては2nd Lineのタイガー&ドラゴン、ユージ&トミーにご尽力いただいた。謝謝。

いつものように車での移動。出発は20日の夜中。
しかし前日になって緊急事態が発生した。
うっかり敏腕マネージャーのカータンが慢性皿乾燥症候群のため、ツアーの同行が不可能になってしまったのだ。
ボーっとしているわりになかなか仕事ができると評判の淫乱マネージャーの突然の病欠に一同騒然となった。

「カータンがいなければ移動中のセクハラの餌食がぁぁァ〜」
もちろんキナミ・ネットワークの発言である。
カータンはメンバーの度重なるセクハラのため心労がたたり、頭の皿が完全に乾いてしまっていた。にもかかわらずこの発言・・・

しかしそれはメンバー誰もの共通の想いでもあった。


出発直前、つり銭用のお金などを受け取るためカータンの巣に寄った。
カータンは干からびたカラダを引きずり、つり銭と自分の仕事の段取りを書いたメモを渡しやさしく微笑んだ「ゲロゲーロ」・・・
カータン間違ってる、ソレは青空球児だよ・・・私は喉元まで出かけた言葉を飲み込みそっと毛布をかけてあげた。
皆涙ぐんでいた。

「カータンの分まで頑張って来るよ!」

行きがけの駄賃ツアーはなんだか弔い合戦の様相を呈してきた。

メンバーは一路大阪へ・・・


つづく




*写真は干からびたカータンを涙で抱きしめる心優しきパピー笹千代。